「書く」「読む」と「話す」「聞く」

こんにちは。

 

僕は昔から書くのがあまり好きではありません。

学校の作文などもいかに文字数を稼ぐか、改行を多くできるかばかりを考えていました。工場見学などの感想も楽しかったです、感動しましたというようなありきたりなことばかりを書いてやり過ごしていました。国語の成績もあまり良くなかったです。本を読むのも嫌いでした。国語のテストは苦痛でしかなく早く終わってくれとばかり思っていました。

 

一方「話す」のは昔から好きでした。発表のような一方通行のコミニケーションも、対話のような双方向のコミュニケーションも好きでした。先生にも話すのがうまいと褒められていた記憶があります。「聞く」のも得意でした。先生の授業や友達との会話もすぐに相手が何を言いたいのか理解することができました。

 

大学に入ってから本を読むようになりました。初めは読もうとするも内容がつかめず読むことをやめるということを繰り返していたのですが、易しい本から慣らしていったところ読書がとても好きになり、今では多くの本を読むようになりました。読むスピードも初めはとても遅かったのですが、今ではかなり速く読むことができます。「読む」ということはかつて苦手だったのが今では得意になりました。

 

「読む」と「聞く」何が違うかったのでしょうか。

僕が考えるに「聞く」は話者の声色や間合い、表情などから様々な情報を読み取ることができます。それに対し、「読む」はその文章のみの情報となります。そこから絶妙なニュアンスなども読み取らないといけません。文字という無機質なものから想像を膨らませるという回路が弱かったのだと思います。聞くのは多くの情報を元に推測をすることができます。だから想像力というよりは洞察力を働かせているのだなあと思います。

 

「書く」と「話す」は何が違うのでしょうか。

「話す」ことは流れるように言葉を発してそれが消えていくけれども「書く」は発した言葉がどんどん積み重なっていくように思います。考え方も、話すことは即興的だけれど、書くことはじっくり考察するような感じです。また読む、聞くの対比と同じように情報が文字だけなのかその他のものも含まれるのかという違いもあります。

 

就活の時に面接官に何をいっているかわからない時があるががとても頭が良いと思ったというフィードバックを受けた。これは「話す」における言語外でのニュアンスや表情による伝え方が機能しているのだろうと感じた。一方で「書く」という能力が低いため文字に起こすと何をいっているかわからないという状態になるのだろうと思った。

 

書く能力を鍛えるためには構造を意識することが大切だと感じる。

一番大きな枠組みでいうと全体での議論を組むための段落構成。その次に段落ごとでの主張を成り立たせるような文章構成。そして細かい表現法という順序になると思う。

(あくまで思うだけ)

これまで書くことをおろそかにしてきた。しかし書くことはじぶんの頭の整理にも人に論理を伝えることにも大きな力を持つ。

来年の目標は書く能力を鍛えることとしよう。